久々のレンズ購入 [風景]
原点に立って [風景]
嫁さんの白血病から2年が経過しました。初めて経験する事ばかりでしたが、とりあえず嫁さんは生き延びています。混合型白血病というリンパ性と骨髄性の両方の性質を持ち症例も多くない病気と説明されました。フィラデルフィア染色体もあり予後が悪いそうです。
骨髄移植までの日々が一番気持ちが暗かった事を覚えています。でも最大の危機は移植後のGV(拒絶反応)でした。移植から半年近くはかなり危険な状態だと後で知りました。退院から1年後の検診で、今だから言えるけど、あの時はどうなるか先が見えなかったと、主治医の女医さんから教えてもらった。ドナーになっていただいた方や医師、病院スタッフ等多くの皆様のお蔭で今日があると思っています。同時に当人の生きたいという思いと、丈夫な体に産んでもらった事もlここまで来れた大きな要素だったと思います。まだ再発の危険性があり、免疫抑制剤やステロイドを飲みづづけていて味覚も戻っていません。食事や行動に大きな制限もあります。体重も10kg以上減ったままです。それでも、発症時に余命三週間と言われ、生存率50%の移植をおこない、今日を生きいてるのは大きな感謝です。
自分自身の生活もすっかり元に戻りました。少し今回の件で学んだ事があるとすれば今出来る事は今やっておこうと思います。成果より後悔しない事、やるだけやってみようと思うようになりました。そう、出来なくなる日は必ず来ます。
ここが私の生まれた場所です。左側の木の下に生家がありました。
川は随分と汚れて今は蛍もいなくなっていますが、空の碧さは昔のままです。
八百万の神の国に生まれた事に感謝です。古代の人々もこの綺麗で豊かで同時に自然災害の多い国で常に明日を向いて生きていたのかなと思います。
東に鞍岳山と北に八方ケ岳を見てこの川で毎日魚釣りや川遊びをしました。大雨で増水して小学校へ夜中に避難したこともあります。今年の8月には今は無くなってしまった小学校の同窓会です。還暦を過ぎて初めての集まりです。一巡してまた原点からの始まりになります。仕事は先が見えませんが、頑張り続けるしかないようです。
フジTVデモに参加してからマスコミの偏向を知り、戦後の自虐史と日本の伝統や正しい歴史がゆがめられた事がわかるようになってきました。今は日本の古代史を読みあさっています。日本という国は本当に興味深い国です。その文化や伝統、宗教を大切にしてきたいものです。
2014年が始まりました [風景]
去年はいろんな事がありました。多分今年もまたいろんな事があります。世の中は戦後の自虐史から、少し正常な見方へ変化しているように思います。
つまらない日々がどれほどの幸せだったのかを思い知りました。何もない日々は極上の日々です。その日常から妻は余命を長くて2ヵ月と宣告され非日常の日々が始まりました。
特に仲がいい夫婦でもなかったのですが、苦しみの中にいる妻の横で、ただ、何もできない自分がいて 病院へ通う。その繰り返しでした。12月19日 骨髄移植が終わり、最悪の2週間を生き延びました。迎えられるかどうかわからなかった妻は誕生日を迎えた。新しい年を一緒に迎える事がこれ程にまぶしい事に感じられたのは初めて。
フィラデルフィア染色体陽性なので再発の可能性は高いのですが、とりあえず少し長い時間の単位で先の事を考える事ができるようになりました。いくつもの不具合が今後も継続しますが完治を目指して希望を持つことができるようになりました。
日本という国では、こんな病気になって非常に高額の医療費がかかる時でも、保険で高度の医療を受けることが出来ます。普通に仕事して普通に暮らしている中で、困ったときに救いの手がきんと準備されていました。この国ってとても素晴らしいと思いました。 そして医療現場の皆さんの献身的な仕事への姿勢は頭が下がります。本当にプロです。医者、看護師、だけでなく院内のすべてのスタッフがプロです。仕事の質の高さを感じました。
今年はまたカメラを持って出かけようと思います。職場の若い娘達と約束したオリジナルカレンダー一年遅れですが作りたいと思います。
非日常がまた日常に戻ってきました。
カメラを持って直ぐの頃はこんな朝早くから写真をとっていましたね。もう、早起きは辛くない年頃ですが、寒いのは苦手です。
やはり、春は節分草から始まりますね。 今回は倉庫からの持ち出し写真ですが次は撮りおろしで・・・
行きたかった場所 [風景]
来るべき明日が来ない事もある [風景]
3月12日は節分草を撮りにいく日だった。その週末には一人暮らしのお袋の住む熊本へ帰る予定だった。そして明日は来なかった。地震と津波とチェルノブイリと同じレベル7の放射能事故が起きた。
仙台にマンションを買っていた同僚が家をなくした。そんな明日が来るとは誰も思っていなかった。
何があるかわからない。会える時にお袋に会っておこうとバタバタと九州へ向かった。
田舎は春の始まりだった。少し肌寒い風が吹いていたが、春は春だった。
年とともに小さくなる母だったが、相変わらず気丈だった。
住吉灯台へ行ってみた。住吉神社の桜が咲いていた。もうこちらでは桜は終わり始めている。
有明の海は相変わらず遠浅の海だった。諫早の埋め立てがなければ豊穣の海のままだっただろう。
阿蘇の朝も静かな朝だった。ふるさとはやはり暖かい。そのふるさとをなくした人たちがいる。その痛みはどれほどだろう。
東日本大震災で犠牲になった方のご冥福をお祈りします。安らかに眠ってください。